[Webデザイン]フラットデザインは日本語サイトに合わないんじゃないの問題について
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フラットデザインという流行
既にフラットデザインについては[webデザイン]スキュアモーフィックデザインとフラットデザイン、リアリズムとミニマリズムという記事で述べていますんでそっちを読んでもらえるとありがたいです★ それに、WebデザインやiOSの話題を取り扱うブログなどでもういやというほど話題になってますよねw
実際にやってみると…
でも例えば英語のサイトのデザインのまま言語だけを変えてみたら、どうもしっくりこない…というかなんか、キマらない。日本語のサイトにフラットデザインを採用するのは無理なんじゃないか?というように言われています。
じゃなんで日本語のコンテンツにはフラットデザインが似合わないのか、それを軽く考えてみたいと思います。個人的な考えなんで異論は大歓迎ですw
文字のせいでは?
まず第一に頭に浮かんだのは、日本語(特に漢字)という文字が私たちに与える印象の強さについてです。
例えば、地獄という日本語と、その一般的な英訳のHellという言葉を比べてみましょう。
私たち日本人は膨大な量の常用、非常用の漢字の意味を生活の中である程度知ってますし、地と獄という文字の組み合わせの持つ恐ろしいイメージをも知っています。ていうか、獄だけでもヤバそうに感じますよね。
反対に、英語圏の人がアルファベットの組み合わせの字面だけでその意味を想起するのかはちょっとわかりませんけど、少なくとも私たち日本人にとっては26文字の組み合わせから何らかの印象を受けることは難しいんじゃないかと思います。つまり、英語は文章の内容がデザインの印象に影響を与えにくい(おそらく少なくとも日本人は、文字のみからは英語であるという程度の印象しか持てない)はずです。
その代わり、アルファベットではバラエティー豊かなフォント等を駆使したタイポグラフィーが特にその役割を大きく担っていると考えてます。
で、漢字は表意文字としての側面が強く、そこにあるだけでその意味を知っている我々の受ける印象をある程度方向付けてしまうんじゃないかと。
また、それだけじゃなく単にひらがなやカタカナを使うことでもやはり日本語らしい印象は強くなります。文字に日本語が使われている、ということ自体がデザインエレメントとしての特徴も持ってしまうわけですね。
画像参考:Eluveitie
この 作品 は クリエイティブ・コモンズ 表示 – 継承 3.0 非移植 ライセンスの下に提供されています。
外人の漢字タトゥー、我々の着る英語プリントシャツは、意味は重要でなく漢字 / 英語を使っている事自体にしか意味を見出していないと思います。これは、その文字を使うということにビジュアル的な印象を期待している好例であると思います。
打開策
タイポグラフィーを単なるデザインエレメントの一つだと考えてしまえば、日本語等の文字が持つ印象の強さを加減する方法は単純に色を薄くして目立たなくしたり、面積を小さくすることがその方法の一つであることがわかります。
古くから、一部の日本人Webサイト制作者はフォントサイズを小さく、薄くすることを好みました。これは、もともと海外から来たパソコンの画面にレイアウトしたパソコンのビジュアルに、日本語がマッチしないという感覚を持っていたのではないかと以前から私は考えていました。こうすることで、文章が日本語で書かれたサイトと英語で書かれたサイトの印象を平均化できます。ただ当然、これは同時にレジビリティー(見た目による文字の読み易さ)を損ねます。
今日では、日本語を書くだけでダサいと思われる局面は昔より減っていると思います。
もちろん英語でも文字を大きくすればやはり文字の印象にコンテンツの雰囲気がどんどん引っ張られると思います。例えば、個性的なフォントを使うことでやはり見た目の時点で印象を左右することができます。
言語をすげ替えてマッチすることはもともと少ない
さて、あるコンテンツに使われている言語や文字を入れ替えることでデザイン的にマッチしなくなるというのは何もフラットデザインに限ったことではありませんよね。海外に輸出された商品に現地の言語がプリントされているときの違和感は海外旅行をした人ならピンと来るでしょう。
また、仮に高級ブランドのロゴの刻印がカタカナにすげ替えられた場合、それをかっこいいと思えるでしょうか…?
映画パシフィック・リムでは日本語版のリリースについてカタカナバージョンのロゴを用意しています。
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映画は日本語吹き替えのものを作るときこのようにすることが多いようですが、文字の使い方など工夫が見られますね。
フラットデザインというディティールとトンマナ
フラットデザインという言葉の指すデザインの定義には、言葉通りの凹凸のない平坦なディティールの他、そのカラースキーム等までもが含まれることがあります。
ブログ記事等でフラットデザインに向いた色まとめといったものが挙げられたりするように、平面的なデザインとミニマルなアイコンの組み合わせにはポップで可愛らしい配色がマッチするというのは納得できます。
ですが、このフラットデザインという言葉をごく狭い、トンマナ的なものまで含んだビジュアルデザインのいちスタイルにしてしまわず、ただフラットなディティールを用いたものであるという広めの定義で考えれば、日本語にマッチしたデザインは生み出せるはずだと思います。
それは既に今現在流行っているフラットデザインそのものではなくなると思いますが、無理やり他の雰囲気で作られたものにはめ込んでしまうよりはいいんじゃないかなーと思います。
あるいは、もしかしたら我々の目と感覚がそういうものだと慣れてしまうほうが早かったりするかもしれませんね。
まとめ
フォントを選んでデザインの印象を形作ることがあるように、その言語を選ぶこと自体が既にある程度の印象の方向性を備えています。それもまたフォント選びで加減することが出来はするものの、こと漢字や絵文字等はそれがあるだけでも十分に雰囲気を作ってしまいます。
言語を変えるということは単に伝達方法だけでなく、デザインエレメントとしての変化も含んでいるということになります。
そのため、もともとあるイメージに即して作られたデザインに他の言語をそのままマッチさせるのは難しいと思います。日本語のマッチする新たなフラットデザインのバリエーションを生み出すなり、ビジュアルレイヤーを分けたりして共存させるなり、新たなアイディアを練る必要があるのでしょうねー。