まとめコンテンツはなぜ強いのか。コンテキストという測定しづらい因子
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- 2014年05月07日
- 考える
- Webマーケティング Web制作 解説
コンテキストとは、文脈のことです。
文脈とは、狭い意味で言うなら文章の中での流れのことを指します。そしてそれを広く解釈すると、情報やコンテンツが必要とされる人の利用の流れのことも指します。
例えば、冷蔵庫を欲しくないときにいくら冷蔵庫が安い!ここなら他よりもっと安い!!ということを訴えられても何の価値も感じないですし、むしろうっとうしく感じるかもですよね。でも全く同じ情報なのに、引っ越した直後のしかも冷蔵庫を買い替えようと思ったタイミングでのこの情報は非常にありがたく読んでしまうはずです。これがコンテキストの合致です。
同じコンテンツでも、受け取るタイミングや方法によって全く価値が変わってしまう…このコンテキストというものは非常に重要なものであるはずなのに、ちゃんとその出来を測定するのが難しいものです。これって面白くないですか?
人が価値を感じるとき
通常人がWebページやWebサイト、または本や新聞でもいいんですが、何らかのコンテンツを見たとき、どんなことに価値を感じるでしょうか。面白いと思ったとき?新しい情報を知ったとき?レアなトピックを聞けたとき?
面白さや新しさ、便利さ、希少さ、クオリティの高さ、これらをここでは全てコンテンツの質という言葉でまとめてしまいます。文句なしに高い質を持っているコンテンツは、しばしばコンテキストを越えてどんな人にも響くようなことがありますが、たいていの場合はコンテキストに合わないときはスルーされます。
反対に、そこまでクオリティが高いコンテンツではなくてもユーザーの必要に合致したコンテンツがタイミングよく提供されることでありがたがられる、よく見えることもあります。欲しいと思っているときに欲しい情報が得られることに価値を感じることは多いのです。もちろん質自体が低すぎると結局意味がないんですが。
コンテンツの経路によるコンテキストの違い
検索エンジンは、能動的にコンテンツを得るサービスです。例えば東京に存在するレストランの情報はただWeb上にバラバラにデータとして存在していて、単純なコンテキストしか持ち得ません。それが東京で食事する場所を探しているというコンテキストを持つユーザーが検索エンジンを利用することによって、レストラン情報はコンテキストに合った状況で受け取られます。
ソーシャルメディアでは、受動的にコンテンツを得ることができます。他にも、ニュースアプリやテレビ、ラジオ等も受動的な経路に分類できます。ソーシャルメディアはそもそもは交流のためのツールですが、そこに情報を流すことを好むユーザー、シェアという概念が合わさることで様々な情報を勝手に受け取る場にもなりますよね。コンテキストに合わない情報もたくさん受け取ることにもなりますが、検索では得られなかった思いもよらないコンテンツに出会うこともあります。ちなみに面白い情報に出会えることがあるからソーシャルをやっているという人はどんな情報にもコンテキストの合う可能性のある特殊な人です(私もそうです)。
Yahoo!のようなポータルサイト、ソーシャルブックマーキングサービスは上記二つの中間的な存在です。ヘッドラインから受動的に、カテゴリ検索等から能動的にもコンテンツに触れることができます。
強いコンテキストを内包するまとめやハウツー
まとめコンテンツは、構造的に能動、受動のどちらにも強いコンテンツです。コンテンツの中ではチートな部類に入りますw 二次コンテンツでしかないとか自分でコンテンツを生み出さないとかの話は今回はおいといてください。
能動的なユーザーは何かについて調べているので、その調査の対象となっている事柄について先に調べてまとめてくれているコンテンツを非常にありがたく感じます。ここでまとめコンテンツに感じる価値は、自分がやらなければならないことをやってくれているということです。まとめという形をとっている以上、同一カテゴリーの情報が網羅、整理されているというわけで、これは同時に検索エンジンに評価されやすい長所でもあります。
そして、受動的に受け取る場合でもまとめコンテンツは優秀ですね。例えばコンテンツが一つのお店についての情報だと、場所が近かったり好きな料理があるなどの接点がなければ人の気には留まりません。しかしまとめは10選というようにある程度の情報がまとまっていることでもし必要になったときという今はまだ自分の中に存在しないコンテキストをユーザーの中に生むわけです。しかも調べてくれているので労力も少なく、さほど必要としていない情報でも受け取りにいく気になれます。
これはハウツーやチュートリアル等にもほぼ同じことが言えます。サルでもわかるとか池上彰のみたいなフレーズも同じようなものですね!
良さげに見えるのに響かないのは、コンテキストのアンマッチ
というわけで、コンテキストというものが非常に重要だということはわかると思います。ですがこれは冒頭でも言った通り、そのコンテンツが何らかのコンテキストに合致しているのかを数値的に、普遍的に判断しづらいです。相手と場合によって変わってしまいますからね。
扱うコンテンツは良い、なのに注目されないというのはそれがユーザーのコンテキストに合った形で提供されなかったからで、よいまとめやハウツーなのに注目されないのは、それの内包するコンテキストに合致する人が少なかった、ということになりますね。
実際、コンテンツの紹介のしかた、まとめ方の出来不出来をアルゴリズムなどで判定するのはすごく難しいだろうと思います。ワードサラダのような文章レベルでのコンテキストの不整合ですら、人の目視による判別、ソーシャルグラフを活用するしかないようですし。特に日本語はもっと難しそう。でもそれを結果のみで判断するのもまた違っていて、どういうコンテキストの良さ、悪さがあったのかは検証すべきものでしょう。
メディアはコンテキストを作るのが仕事
音楽、動画、画像、テキスト、データ、ニュース、レポート…あらゆるコンテンツそれ自体は、単純なコンテキストしか持ちません。ただそこにあるだけでは、それに興味のある人にしか見られないのです。
こうしたコンテンツに、多くの人に合致するようなコンテキストを備えるのがブログ、紹介記事、まとめコンテンツといったWebコンテンツを含むメディアの仕事だと言えます。その要素は表現方法、タイトルや概要、媒体や著者のブランド、文体、例示、付属情報、デザインと様々なものがありますが、この全てが見ている人の興味を紹介しているものに向かわせてくれます。
ブログやメディアはそれ自体がブランドを持ったコンテンツにもなりますが、多くの場合は取り扱うコンテンツがないと成り立ちません。コンテキストを意識せずに書かれたドキュメントはただのログや日記になってしまいます(ただの日記でいい場合はそれでいいです。このブログにも日記はたくさんあります)。
というわけで、コンテンツを作るとき、それが何かの達成目標のために作られる場合は常にコンテキストを意識しようという話でした。こればっかりは経験がものを言うみたいです。