デザイン怖い話「これは本当に私の頭で考えて生み出されたものなのか?」
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これはどうでもいい話なんですけどなんかこう考えると怖いなー、と思った話です。あと念のために言っておくと「パクリ」とか「本当に新しいアイディアなんてない」とかそういう話ではないです。
規則性と不規則性を使いこなす
先週[webデザイン]規則性と不規則性を使いこなすという記事を書いたんですけど。
この記事は、基本的に人の目は規則性のあるものに安心や調和、洗練された印象を受けるので規則性にしたがって整ってた方がいいんだけど、上手いタイミングでそれを外したりしないと印象にも残らないし面白くないものになるし、個性も出せないよねという話でした。
ちなみに規則性の効果については以下の記事でも述べています。
[フォント・デザイン]水平・垂直・傾斜・円弧・不規則 – WEBCRE8.jp
自由なようでいて法則を持ったもの
で、なんとなく、普段の制作で自分の発想に基づき規則性から外れた不規則性を作ったと思っていても、もしかしたらそれも大きな視点で見ると規則性から外れてなかった、という事を考えました。
フィボナッチ数列
その数と前の数を合計した数がその数の次にひたすら並んでいるのがフィボナッチ数列です。
最初の方はよく見るのでああフィボナッチ数かとわかるわけですけど、4桁の数字辺りはぱっと使われてもああそう言う法則か、とは気付けないですよね。というか、数列を使っているのであろうという前提で見ないと数列なんて普通気付けないです。
適当に発想したはずの数値設定がこうした数列にぴたりとはまってしまっていたなんてことがあるかもしれません。
実際に自然物が持っている形がこうした数列に近い並びをしていることがあったりします。ヒマワリの種の並びが計算されたように配置してされることは有名ですね。
マンデルブロ集合
マンデルブロ集合というのは…私も言葉で説明できるほど理解してません。すみません。
図でわかってもらうしかなかったりするんですが、要は計算式から作られた人工的な図形なんだけど、なんだかすごく有機的に見える、ってヤツです。実際にこのマンデルブロ集合の様な形をした植物もあったりで、なんかすごい。
自然界ですら数字に支配されている?
こういうのを見てると、もしかして世の中のことって、長い目で見れば何かしらの規則性に基づいて選択されたり形作られてるんじゃないか?とか考えてしまうわけです。
決められた法則をなぞっているかもしれない思考
そうして考えると、私が考えたアクセントを生みだす為のポイント、ランダムに描いた手描きの線の筆致、気まぐれでつけたつもりの強弱までもが、あるどこかの地点で繰り返しているんじゃないかとか思ったりするわけです。
もし今適当に引いたブラシツールの線を、もしずーっと、ずーっと伸ばしてみて、ある地点に達したところでスタート地点の線と並べてみると、全く同じゆがみ方をしている…。そんな想像をするとなんか怖くなりましたw
円周率のように
どこまでいってもその法則性というものが現れないのが円周率ですよね。この数列は、いくつ並べてもここからここまでが繰り返すというループする地点が見つからないそうです。って聞いてますけど違ったら教えてください、あまり学がないので聞きかじった話から考えてるもので…。
自分の発想が円周率のように法則に支配されていないものだといいですね。
終わりに
規則性から外れたデザインをするにしても実際はやはりうまい外し方みたいなものがあって、そういう見た目のアクセント的なものや偶然の産物みたいなものも本当はちゃんと方法論に従ったデザインであったりします。
小さい単位、例えば一案件の中でのデザインには規則性があって然るべきですし、前述の記事でも述べたようにその規則性は大事なわけですが、その規則から外れようとしたとき、本当に自分が自由な発想が出来てるといいなと思いますw
余談ですがマンデルブロとかフィボナッチに関しては以下の記事が面白いです。
第14回:全ての植物をフィボナッチの呪いから救い出す – こんどうしげるの生命科学の明日はどっちだ!?
法則が先にあるわけではなく、あくまで結果的にそれに近い形が出来ているだけだというような話ですね。とは言え、結果的にでもそうなるのはやっぱりすごいし怖いですw