[デザイン]なぜレタッチするのか。記憶色とか写真とか心象風景の話
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webcre8はPhotoshop好きですが、写真についてはそんなに詳しくありません。写真加工はよくやりますが、その「素材としての写真」にはすごく興味はあります。これからもっといいカメラを買って勉強しようと思っていますねー。写真について勘違いがあったらすみません><
写真ってどうして加工するの?
写真というものが仮に「実在する被写体のありのままの姿の一瞬を切り取って印刷したもの」だとしたら、なぜ写真ってわざわざ加工するんでしょうか。まあ写真をやっている人からすれば何を当然のことをって感じかもしれないですが…。
答えはおそらく普通に
「より被写体をきれいに見せるため」
ということになるかと思います。
でもじゃあ、それは写真に詳しくない人からしてみれば
「誇張表現になってしまう」
「リアルな表現ではなくなってしまう」
「フォトショで加工とかww盛ってるだけじゃんw」
ということになりはしないですかね?そう思ったことがある人は多分少なくないと思います。
写真は普通に撮るとくすんで見える?
アルバムに入った、昔撮った写真を見て「あれ、こんなに空って暗い色だったっけ」とか「花の色ってこんなに汚かったっけ」と感じたことはないでしょうか。
これは単純に「昔のことを美化して覚えている」というようなイメージ的なものではなく(それもあるんだと思いますが)、れっきとした人が色を記憶するときの脳の性質、「記憶色」というものなのです。
記憶色とは
人の脳は物の色を記憶するとき、実物より鮮やかな色を記憶に残す。
例えば桜なら実物よりピンクに、海なら実物より青く、林檎は実物より赤く記憶する。
写真が記憶より色褪せて見えるのはそのせい。記憶に残る、実物より綺麗な色が記憶色。記憶色 | 3行百科辞典に自分で書き込んだ文です(引用の意味ないw)
この作用によって例えば桜の色は実際より鮮やかなピンクに、空はより青く…一般的には彩度が上がると言われています。
ただ、webcre8の個人的な考えとしては「彩度が上がる」と言うより「わかりやすい色に近づく」なのではないかなと思っています。例えば人の肌の色は実際より白く見えたりするそうです。記憶に残る色はおそらく色数的には大したことがなく、繊細な色の違いは覚えられないんじゃないか、というイメージです。
webcre8は心理学とか脳に詳しいわけでもなんでもないので、ここも基本的に学んだ知識をもとにした個人的な考察として受け取ってくださいねw
カメラがよくないからキレイに撮れないわけではない
というわけなので、記憶に残る風景に比べてあなたの撮った写真がくすんで見えるのはカメラの質でも何でもありません。ただ記憶が美化、もしくは脳内で色的に単純化されているものと実際の写真に差ができているだけなのです。
もちろん画素数だったり焦点距離などでいいカメラと安いカメラの差はついているわけですし(あとまあ、そういう画像加工ソフトでやるような調整をしてくれたりもしますね)、写真の上手い人と下手な人の差は光のあて方や構図などでもつきますから、誰が撮っても一緒になるわけではありませんがw 少なくとも色の見え方にはそういうからくりがあるというだけです。
記憶に合わせるために写真を加工する
そんなわけで、写真加工(色補正)が、単純に写真をきれいに見せるためにやるわけではないということがわかるでしょうか。つまり写真加工というものは、写真の被写体を人の記憶に残っている被写体に合わせるために行うものなのです。
そもそも色というもの自体決定したものではない
暗い所でものを見るとものの色は暗い色ですよね。これは単純に暗い(明るくない)から暗く見えるということではありません。
物質の表面は当たっている光(普通の光は全ての色を含んでいる)の一部を吸収し、一部を反射します。その反射の仕方の違いから私たちはそれぞれのものの色を認識します。
ものの色はそれ自体が普段は赤く見えなくても、赤い光を当てれば赤く見えますよね。緑の光が当たれば緑です。つまりものの色はそれに当たっている光の色や強さでその色に見える仕組みになっているというわけです。
以下の説明も参考になると思います。
人は自分にとって必要な色だけを認識している
日本の教育ではクレヨンを使ったりして、「この色は赤」「この色は黒」と覚えていきますよね。多分子供は世界を12色ぐらいで見ているでしょう。
webcre8の子供のころの経験から
webcre8は中学校に入学して図工の授業で使っていた水彩絵の具が美術の授業のポスターカラーに変わった時、絵の具の恐らくは「緑色」があるべきポストに「ビリジアン」が入っていて、それを不思議に感じた記憶があります。中学校からは緑色をビリジアンで表現するべきなのか?
ビリジアンには違和感がありましたが、基本的に新しい画材に触れて、表現できる色が元々知っている色の混色ではなく、ポスターカラー絵の具で「この鮮やかで生物感のない空みたいな青はセルリアンブルー」、プラモの彩色に使うプラカラーで「この暗い深海のような青はネイビーブルー」、コピックで「この日焼けした人の肌の影に使うような茶色はバーントシェンナ」というように、新しい色に頭の中で名前が付くたびに世界が拡がり、また反対に既に知っている世界も細かく見えてくるような気がしました。
ここまで色を細かく認識しようとしているのは、授業や自分の絵等で、思った色をしっかり再現する必要があると感じていたからですね。絵を描く必要のない人であればこんな事は思わないでしょう。例えば表計算で重要なところを赤字にするだけならその赤は黒と見分けがつくならどんな赤だって構わない筈です。
色の話はそこそこにしておきます
話題が逸れました。色の話には[色]デザイナーっぽくカラーコードの16進数を覚えたくないですか?でも触れていますが、より詳しくは例によって色 – Wikipedia等を参考にしてみてください。それだけでなん記事か書ける話題なので…実際書いてたけど消しましたw
要は、写真の色の加工は撮る前にやる(照明)か、撮った後にやる(レタッチ)か、写真の色加工と言う点においてはそのどちらかの違いである、という事です。
エフェクトや修整について
これについても同じことが言えるんじゃないかと思います。私たちは写真に撮られたものについての記憶が美しいものであればあるほどその理想的な様を思い浮かべて写真を見ます。
美化された記憶には美化した写真を?
ありのままを映した写真は、例えば料理には食欲をそそるソースの照りがあり、人の顔にはシワ一つなく、湖の水は澄んでいるといった美しい記憶に比べ、あまりに不利です。
これはECサイトや美容院、旅行地など、理想を実現してくれることが期待される物品販売や営業のサイトにとって非常に有難くない特性ですよね。現実は実際に美しいものであっても、完璧ではありません。
だからwebサイトやポスターに使われるような販売促進のための写真にはそういった修整はつきものです。美しい女性にはできもの一つないもの、旅行地の湖にはゴミなんか浮いてませんし、炊きたてのご飯からはふわふわと湯気が出ています。
何事もやり過ぎは良くない
ただ結局この理想と現実との落差は当然実物に対面する時にどうしても感じてしまいますw リアルな写真と現物、どの時点で理想と現実の間に差があることに気付かれるかの問題だと言えます。
なので、イメージをはるかに上回るような華美な装飾はNGでしょう。どちらかと言うと記憶と実物の中間を行くのが良いような気がします(そんなんめちゃ難しいでしょうけどw)。その辺のさじ加減が購買意欲と顧客満足度を左右するんでしょうかね。
http://jezebel.com/photoshop-of-horrors/
海外サイトですが、このサイトはPhotoshopによる過度な修整が生んだ悲劇を集めたサイトですw
ときに芸能人の写真はPhotoshopマジックなどと揶揄されてしまうほどの加工が施されていたりします。芸能人は広告を目にする人にとって身近な存在ではないため、良い印象を持たれて困ることは少ないでしょう。
ですがいずれ実物と相対させる商品写真なんかを過度に加工する場合はそれだとまずいので、「写真はイメージです」と但し書きが入ります。この言葉が全てを表しているのだと思います。我々のイメージを画像で再現しているというわけですね。
最近のプリクラとか
例を示せないのが残念ですけど、最近のプリクラとか超やばいです。美白やアイメイクをめちゃくちゃに盛ってくれますw アレも要は撮った写真が楽しかったその場の雰囲気に劣らない為の工夫なのでしょう。 そして、やり過ぎでもあります…w
追記:写真とは
すしぱくさんにお褒めの言葉を頂いたので追記しますw
良い写真とは、実物を目にした時の感動に遜色ない様、魅力的に、迫力を持って語る、信頼のおける代弁者だと言えます。
反対に加工しすぎた写真は誇張の過ぎた、感動の閾値の低い、話の大袈裟なおしゃべりです。彼の話をまともに受けてはあまりの落差にがっかりしてしまいますね。
@susipaku 人間の例えで言うなら適度の加工は「話がうまいひと」やり過ぎ加工は「話が大袈裟な人」と言えると思います。図鑑や報道写真にはリアルが必要なので実物をありのままに伝えてほしいわけですね。…まあ、そっちはそっちで「リアリティ」の為に加工されたりしますがw
— 酒井優 (@glatyou) December 28, 2011