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webデザイナーによる、デザインとwebを楽しむ情報ブログ

考える。

WEBCRE8.jpによるweb制作やデザインについての考察を
書き綴っていくカテゴリです。

ブログ記事は人の心を動かしてこそ

この記事は約8分ぐらいで読めます

読み手の気持ちを動かしたい
ブログって何のために書くんでしょうね。自分の学習のため、単にアウトプットがしたいからという事もあるでしょうけど、私はその目的と別に、読んだ人に何かの影響を与えたいと思っています。

WEBCRE8.jpの運営目的

私はここ一年、「何故今ブログを書いているのか」と聞かれたときには「自分が作ったもの、これから作るであろうものを発表する場として十分な発信能力を持ったものとしてブログを育てる為」と答えています。

過去記事のブログをどう始めたらいいか分からない人へ。目的とテーマで書いたことになぞらえるのであれば、大きな意味では情報発信の為に書いていることになりますね。

以前この記事で、ブログ自体を作る目的を以下の4つに大別しました。

  • ブランディングしたい
  • 書きたいことを書く場所、情報発信の場を持ちたい
  • 書くことを通して学びたい
  • 収益・副収入を得たい

記事を書くことのモチベーションはまた更に記事ごとによって違うと思いますが、大体この中のどれかには関係してくると思います。

私はWebデザイナーでありディレクター、コーダーでもあり、記事は基本的にその私の制作能力や知識、経験、または興味のあることを扱っていくようにしています。

この際、例えば記事の内容や言葉遣い、またブログ自体のデザイン等によって自分が出来ないことを晒していくことにもなりますよね。まあ、それは修行のうちの一つだと思っています。

読み物の存在意義

私はブログは読み物だと思っています。ブログは他方では単なる日記でも備忘録でもあります。でももし私が文章を書いて人が辿りついてしまうかもしれない所に置くのなら、筆者である私はその読み手の存在を意識し、読者には何かしらの感想を持って欲しいと思っています。

そして、可能なら心を動かしたいです。

もっとブログが増え、もっともっとwebにおける発言が増えていい理由を読んで、ブログを書こうと思った人はいたでしょうか。いて欲しいです。[web制作]約2年間ブログを続けて得たもの、失ったものではどうだったでしょうかね?

念の為に言っておくと、これは別に「読者の心に何かを残すつもりがない文章を書くことには意味がない」ということではありませんし、そうは思ってません。ただただ自分の身に起きたこと、気持ちを書くだけ、読み手の事を意識しないで書かれた文章だってありますし、○○をやってはいけない、なんてことはさらさら思いません。「チラシの裏にでも書いとけ」みたいな意見は、あってもいいですけど、特に賛同もしません。

話が逸れました。私や、恐らくこれを読んでいる人たちは何らかの制作をやっていたり、その制作を手伝う事で誰かの役に立ったりして生活している人だと思います。なので文章を書く際にはそれがどんな効果をもたらし、ときには読んだ人や書いた人の役に立ったり楽しませたり、またはその逆があるということは意識していると思います。

そのとき、ただ「参考になった」「初めて知った」「これは危険だなぁ」だけではなく、「参考になった、私もこれからやろう」「初めて知った、いいことだから友達にも教えてあげよう」「これは危険だなぁ、私は二度とやるまい」と思わせたいのです。心を動かすというのはそういうことです。

読み物というものの力

私の文章で、あるものの良さに気付く、学ぶ必要性に気付き学びだす。面白いなと思い人に伝える。悲しみ、そんなことには出会わないよう工夫する。その人の日課を作る。行動を変える。モノを買う。挑む。試す。働く。そういったことを読んだ人にさせる力が、文章にはあるはずです。

全てのブログにそうする必要があるわけではないですけど、読み物にはあります。私はそして、私のブログを読み物だと思っています。

ブログというものは読み物という体裁をとっているおかげで、専門的なこともどうでもいいことも、同じような気持ちで読ませられるという利点があると思っています。

人の心に影響を与える力

読み手の気持ちを動かしたい

読み手の気持ちを動かしたい

当然ですが、これは何も必要のないことに向かって読者を扇動するという事ではありません。そもそも私自身がこれはよい、必要だ、面白いと思わない限りわざわざ時間をかけて文章を書きませんし、好きでもないものにそんな情熱持てません。

反対に読者は、筆者の価値観に共感できない限り心は動かないはずですし、それが出来る気がするかどうかでいつも読むブログを選んでいるはずです。そう思ってもらえる形を作る努力を私はする必要があるでしょう。

書き手の中には、そんな気がないにも関わらず読者の気持ちを動かしてしまう人もいます(逆に読者にも、意図していない文言に過敏に反応して心を動かされていしまう人はいます)。そうしたナチュラルな人間力的なものを持っている人はそれはそれで強いんですけど、私は出来ればそれを自分でコントロールする力を持ちたいと思ってます。

デザインと読み物の共通点

話が急角度に感じるかもしれませんけど、これはデザインすることにも繋がっています。

私は一応デザイナーを名乗っていますが、デザインは何らかの意図を含んでなされるものと考えています。これをやったら人はこう動く、こうしたら見てくれるのでは、押してくれるのでは…ということを考え続けるわけですから、文章を書いていてもその思考の仕方が出てきてもおかしくないですよね。

もしかしたら心を動かしたい、という気持ちがデザインを好きでいさせてくれているのかもしれません。

どこかで聞いた言葉をより強い言葉にするために

一年以上前に私はデザインが苦手な人も分かる「デザインは全て意味がある」6つの要素という記事を書いていて、有難いことにたくさんの人に読んで頂きました。

このデザインには意味があるという言葉自体は別にどこかで聞いたことがある言葉だと思いますし、私のような一介の制作者が殊更言う必要はない言葉なのかもしれません。他のたくさんの言葉のように「まあそうだよねー意味があるはずだよね」と流して読んでいる人もいるでしょう。

でも私はそこで…私の文章の書き方で、言葉の表現で、もう切実に、「これから私がするデザイン一つ一つにも意味を考えて作りたい」と思ったりして欲しいわけです。

その文章を書いたことによって、読んだ人に私が味わったような便利さを、楽しさを、あるいはちょっとした不安を…そういう事を感じて欲しくて、私は全力でブログを書いているんです。

終わりに

ここに書いたことは、目的ではありませんが、大きなモチベーションの一つです。どうせものを作るなら、文を書くなら、その人に影響を与えたいじゃないですか。

この世界に人自体が一人もいなければ私は何も作りませんし書かないでしょうけど、現時点で私の文章や作るものを楽しみにしてくれる人がいない、というだけなら私は作るし、書くはずです。そして、一緒に楽しもうぜ!と思うわけです!★

繰り返しになりますが、どうでもいいものをよく見せる力が欲しいわけじゃありません。

あと誤解されそうですけど、勢い良く書け!ということでも淡々と事実だけを書いちゃダメってことでもないですよ。その方が話題や媒体によっては本意が伝わりやすい場合もあるので、そういう局面でわかって使い分けるのが大事だねって話です

必要だと思うこと、良いと思うことを今よりも正確に、今よりも高い確率で、伝えたい相手に確かに伝える力が欲しいと思っています。