著作権のその手前にあるもの、それは配慮と敬意
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私は著作権やライセンスを重視しています
WEBCRE8.jpではたびたび著作権やライセンスについて記事で解説をしています。[ライセンス]結局何を使っていいの?利用者視点でのよくわかる著作権!や[ライセンス]どれにする?制作者視点での目的別ライセンスの選び方等ですね。これらはクリエイター、もちろん一次的な著作物を作る人にとってもライセンスに問題のない著作物を利用して二次著作物を作る人にとっても、重要な前提知識であると考えています。
これについてある友人が面白い指摘をくれました。
ある友人の一言
その友人は「著作権なんて考え方はなくなってしまう」と言います。正直なところそういう危惧がないわけでもなかったので彼の意見を聞いたのですが、その中に面白い言葉がありました。
それは「著作権があるからダメだ、なんて言い方では意味がない。なぜダメなのかを考えさせなければいけない。作品を使う事には敬意を払うことが必要だ」と言う言葉でした。
振り返ってみたのですが、私は記事等でクリエイターやそうでない人に、自身の勉強した著作権やライセンスといった情報を伝える上で「作り手への配慮が必要」だという事は述べてはいましたが、「敬意を払う」という言い方をした事はなかったように思います。こういう考え方って重要な気がします。
フリー素材や無償コンテンツはあなたの仕事や生活を手伝う相棒
最近は情報を配信するアプリや、まとめ等も流行っており、ものによっては悪質な「コンテンツへのただ乗り」とも言えるようなものが物議を醸したりもしています。そのとき重視されるのは当然ながら収益の動きでもありますが、同時に重要なのが「そのコンテンツを評価している」と言う利用側の敬意があるかどうかだと思います。
忙しい時に利用したフリーの素材は、あなたの作業する時間を何時間も短縮してくれています。例えばそのとき、単なるダウンロードではなく、隣にいる作業の早いスーパークリエイターに仕事を頼んだのだと考えてみてください。このとき、お礼も言わず人の作った素材をPhotoshopにドラッグ&ドロップ…とは普通しないですよね。
たまーに聞く、「当社のコンテンツの利用はなんら問題ないと考えている」みたいな言い方、既にちょっとずれてると思うんですよね…。
作り手への敬意を育む仕組み作り
この話を経た後も私がライセンスというものを大事だと考えることは変わっていませんが、ライセンスや著作権を語るとき、それと同時に著作権者への配慮、そして著作者への敬意についても触れるようにしていこうと考えるようになりました。
もしあなたの友人があなたに対して「ここにある制作物を勝手に使っていいよ」と好意から言ってくれた場合、
- それを使って貸してくれた友人が嫌がる事をしない
- それを使って大きな利益を得ることが出来るのなら、友人に相応のお礼をする
ということは考えると思います。これって、敬意や感謝から生まれることですよね。世の中の誰もがこのように振る舞うことが出来るんならまあ、決まりは必要ないわけです。
ただ、個人のやりとりを経ずに済むライセンスという利用承諾の仕組みが、そういった敬意や感謝のような意識を持ちにくくする可能性もあるのでは、と言われると否定はできないですねー。これについてはもっと考えたいところです。
終わりに
私は普段別に性善説を前提として考えているわけではないのですが、人がものを作るにあたってこういう美意識を持っていてくれてもいいはずなのではないかなーと思いました。そして、相手にそういう配慮や敬意をどうしても理解してもらえないときに、はじめて著作権等、ルールによる説得をすべきなのかもしれません。