楽しい=知ることだということ
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「知る」ということは「違いがわかる」ということ
WEBCRE8.jpでは以前#LOVEFONTという企画を行いました。こちらはwebデザイナやクリエイタ、色んな方達に呼びかけ、それぞれが好きなフォント一つについて「なぜそのフォントが好きなのか」をブログの記事上で語ってもらうというもので、以前と書いてはいますが[フォント] #LOVEFONT まとめました。継続募集します!のように今も募集中ですw 気が向いたらどなたでも是非★
webcre8はフォントに関する知識は全然なんですが、世の中にある看板、ポスター、チラシ、パッケージなんかを見るとまず「このフォントはなんなんだろう」「なぜこのフォントを選んだのだろう」ということに意識が向きます。勿論色彩やモチーフ、レイアウトも見ますけどね。
で、勉強して行くうちにポスターを見ると「お、AXISを使っているな」とかわかったりして人と共有出来にくい若干キモい喜びを感じたりしてるわけですがw
これが普通の人にはどれも同じただの文字にしか見えていないわけで、言われたところで「ふーん」、よくて「へー、気付かなかった」という感想しかもらえません。これはその人が、文字が専門のデザイナによって作られていることを知らなかったり、フォントとフォントそれぞれにある差を知らないからなわけですよね。
別に「俺は違いがわかる男、だからエライ(ドヤッ」 ということを言いたいわけでは勿論なく…単に違いに気付けるのはそれについて知っているからというだけのことだということです。
逆に、私もフォントとフォントの違いに気付かないことが多々あるわけですが、それはそのフォントに関する知識がないわけで、その場合はいずれも同じフォントに見えるか、そもそも意識が向いていません。
私はよくフォントの話をするとき似てることとしてワインの話をするんですが、そういうグルメの世界でも詳しい人はやはり二つの味の細かい違いに気付いたりします。
違いがわかってこそ、知っていると言えます。
「違いがわかる」ということは「興味を持った」ということ
例えばwebcre8は車を運転しません。道を歩いていて友人が「あ、BMだ、いいなー」なんて言ってても、私にとっては「たくさん走っている車のなかの一台」にしか見えていません。せいぜい「WordPressのロゴってあのエンブレムに似てるよな」とか「BMと言えばチャンピオン→チャンピオンと言えばバキ→キャオラッ」とかしか考えてません。
これは私が車に興味がないからであり、興味がないので違いがわからないということです。いや、まじまじと見ればライトの形状、エンジンの位置、ホイールやボディのデザインの特徴に気付くことは出来ますが、結局その違いの価値、理由、哲学まで理解できなければその認識はその場限り(短期記憶ってやつでしょうか)のものになるでしょう。
犬を飼いだした途端に、実は自分の住んでいる街には犬を飼っている人がかなり多く、そして一口に犬と言っても色んな犬種があり、犬のなかでもこういう種類が可愛い、と考えていることに気付いたりしたことはないですか。または、パグが好き!と犬種にも拘りが出ると、単に「犬を飼っている人」と見えていた人が「あの人はパグを飼っている人」とより認識が具体的になったり。
興味があるからこそ、その違いがわかります。
「興味を持つ」ということは「楽しい」ということ
楽しいと言うと遊びや趣味のことについて限定のような感じですが、人はその目的や趣旨に関わらず何かを達成した時幸せを感じるように出来ているらしいです。快楽物質とかなんかそういうやつ。その目的というものは大概自分に何らかの形で利益をもたらすようなものですが、別に直接的な利益にならずとも目的の達成自体で幸せになれたりします。
実際、利益は得られても楽しくないものってありますよね。収入は良いのに満たされない仕事。これは仕事内容に変化がなかったり、自分の努力が成果に繋がっているという実感の得にくいものであったりします。そういう仕事の細かい部分に興味は持ちにくいでしょう。
反対に、一見収入には繋がらなくても楽しいことってたくさんありますよね。まあ、それらは大抵実際のところはコミュニケーション、モノ、欲望の充足等、自分にとって魅力的な利益、幸せをもたらしてくれてもいるわけではあります。
そして経験から、それらが得られそうなものに人は興味を持ちます。
それが楽しいからこそ、興味が持てるわけです。
つまり:「知る」ということは「楽しい」ということ
こういったことから、私は「楽しいという感情を抱く」ことはほぼイコール「知る」ということなのではないかなと感じています。ちょっと乱暴な論理かも知れませんが、そんな気がします。
これは何も勉学やデスクワークに限ったことではなく、体を使った労働やスポーツにも言えることです。新しい技術のコツに気付いた時、パンチやボールの軌道を見切った時、その違いを発見したことに喜びを覚える(勝利と言う利益にも繋がるでしょう)のではないかなと思います。
覚えられないものは覚えられない!
と言うわけで…あなたが何かを熱心に人に語ったとしても、それ自体に興味のない人はそれを絶対に覚えてはくれませんw まず、それを知ることがその人にとって何かの利益(例えば「あなたと話が合うこと」とか!)になることを気付かせるか、違いがわかることに面白みを見出せるような伝え方が出来るかどうか…これはそういったことなのです。
知って楽しくないこともある
この話はあくまで理性的な話で、感情的にはむしろ知ることで不愉快になってしまう事実も多々ありますよねw
「不愉快な事実を知る」と言うことはそれ自体で不利益を被ることはなく、むしろ「実は既に不利益を被っていたということに気付かされる」ということに過ぎず、長期的には「知って良かった」利益となるはずですが、これが楽しいという感情を生むかは微妙なとこですね。その知が事前に得られていたならともかく、知らないうちに始まってしまったことは、知らずにいた方が楽しくいられるのかも知れません。
おわり。