もっとブログが増え、もっともっとwebにおける発言が増えていい理由
この記事は約7分ぐらいで読めます
ブログは書くこと自体が目的ではない
私はブログを書くのがすっごい楽しいですし、わりとブログを書くこと自体が好きですけど、別にこれは書くこと自体が目的って訳ではありません。ブログを書く理由もいくつかありますけど、それには考え方の芯があります。
「無駄な情報を生んでしまうのでは」という懸念、遠慮
で、以下は自分に対する言い聞かせでもあるとともに人に対する後押しでもあるんですが。以前書いたブログをどう始めたらいいか分からない人へ。目的とテーマでも触れたんですが、ブログを始めたいけど始められない人の理由の一つに「私がこんな記事書いていいんだろうか」みたいな遠慮があると思うんです。…そんな事言われちゃうと私が書けなくなりますねw
webはコンテンツが吐き出される最初にして最後の場所である
webには誰もがアクセスできます。誰もが書き込めます。そこにPCや携帯電話等のデバイスの違い、2ちゃんねるやブログ、メディア等のプラットフォームの違い、言語の違い等はあれど、基本的には誰でもが書き込めます。思った瞬間に書き込めるアウトプットの最初の場所です。
そしてその後、役に立つことは書籍化されたり、不適切な為消されたり、後で読みたいからダウンロードされたりすることはありますけど、基本的には殆どのコンテンツはそのままwebに残り続けます。つまりアウトプットが最後に行きつく場所でもあります。
そこに書き込まれる情報が、「ある程度のラインをクリアしてないといけない」なんて条件付けがあって良いのでしょうか。それを判断するのは誰の基準なんですかね。
フラットなweb
誰もが書き込めるwebの世界、それを人権や倫理等の別問題はあるにしても、「これ面白いよ」「私はこう思う」と言うような言葉を、アイディアを、「誰にとっても必要でないかもしれない」なんて考えて握りつぶしてしまうのはもったいないです。
「チラシの裏」って言葉もありますけど、それすらもアーカイブするのがwebです。言葉は悪いかもですが、元々webは、まだ種のものと腐りかけのもの、ジャンクフードと家庭料理、高級料理とゴミ、食材、その全てが同時に乗る事があるテーブルなんです。
情報の淘汰
そしてその玉石混交、いいものも悪いものも混じり合ったwebの情報を役に立つものにするのは、専門家と技術者の仕事です。最近は検索エンジンの評価基準も繰り返されるアップデートによって鋭くなっています。コピーコンテンツは技術者によって淘汰され、専門家や、昔ながらのSEO関係者ですら「これからはコンテンツだ」と語ります。
情報の選別
ソーシャルやランキングサイトの様な評価基準もあります。はてなブックマーク等のサービスではその時ユーザの求めるコンテンツが脚光を浴びます。webに早い成熟を求める先進的な利用者の中にはときに「こんなものが注目されているの?」と仰る人もいますが、本当に人の求めるニーズと評価されるものとの間にズレがあるのだとしたら、心配しなくてもいずれ違った評価基準やサービスが生まれるはずでしょう。もちろん、その人が単なる消費者でなく専門家や技術者なら、それを作ったっていいんです。
ブログが増えていい理由
複数の人が書いているという意義
これもう誰かが言ってるよな、と気付いても別に書くのを止める必要はないです。検索者は、単純に一件だけの情報を得てもその時点ではまだ半信半疑で、他にもそう思っている人がいるかどうかで物事を判断する場合もあるからです。
作成者の環境による意義の違い
その人とあなたが全く同じ環境でその体験や意見を持ったかわかりませんよね。技術ブログの話で言うならWindows環境とMac環境、ブラウザ、時期等で参考にしたい人は変わってきます。もっと一般的なことでも、例えばあるお店のラーメンの味が濃いか薄いかは、その人の普段の食生活によって変わってきます。「あなたの境遇の場合」を事例として知りたい人はいるはずです。
それが「あなた」の体験や考えであるという意義
他の誰でもない、あなたがそれを思った、または体験したという事自体を知りたい人がいるかもしれません。「誰それが遊園地に行った」ということは全く価値がない情報だったとしても、友達が遊園地に行ったのなら、いつ、誰と行ったのかが気になったりしますよね。
日記の存在意義
なんかちょっと技術的なブログについての話題寄りぽかったので、ここで普通の日記とかのブログの場合のことを。この話で行くと、単なる日記は今後評価が下がり、検索にも引っかかりにくくなっていくんじゃないかと思ってます。
でも、実際例えば普通に日記を書いたとして、それが他人の検索に引っかかる必要って別にないですよね?日記は知り合いに読まれれば良いですし、あんまり検索から人が来て欲しい媒体ではないと思うので、これもやはり書きたい人が書くって感じでいいと思います。同じ話題で盛り上がれる人に読んで欲しい、とかならブログサービスのカテゴリなんかもありますよね。
あとはもしこれがラーメンについての日記で、美味しいラーメンを食べたい人に読んで欲しい!と思っている場合は、ラーメンについてばっかり記事、情報を書いていればやっぱり評価されます。この場合はやはり単なる日記とは違いますね。
「どうでもいいことや程度の低いことを書いてしまってたら恥ずかしい」
これについてはちょっとここまでの話とは違いますね。これは私自身については「実際にその程度なんならそう思われてもいいはずでしょ」って感じに考えることにしてます。言おうが言うまいが、私には書ける程度のことしかできません。書くことと書かないことは、人に知られるか知られないかの違いしかありません。
書いていることに間違いがあったのなら指摘があるでしょうし、それを受けて初めて自分の中にはなかった視点を得ることができます。そう考えてます。ブランディングが必要な人はうかつに恥がかけないのかも知れませんが…。
まとめ:情報の活用を考えるのは技術者の仕事
要は本来何千万人のうちの人ひとりが「ラーメン食べたい」と思う程度の事すら使い方によっては価値があって、その膨大な量の情報をどう他の人の役に立てるかは技術者の腕の見せ所なんだという話です。フィードバックは多いほどいいんです。
私のブログでもこれはいい!と思ったものを書きます。これはつまり、「修行中のwebデザイナがこう思った」「いちネット利用者がこう思った」「webcre8がこう思った」といういくつかの評価です。そして私は曲がりなりにも、webに関する情報を扱う専門家(って言うとなんか偉そうですけど、一応w)の一人です。
そしてその評価された情報もまた他の技術者に評価され、洗練された情報として扱われていくのです。…そう願いたいですねw